NANAを読んだ2 | お互い恋人ができなかったら付き合う男女のブログ~只今ロスタイム

NANAを読んだ2

NANAを読んでから激しく凹んでいます。
なぜか。
明確な理由はわからないけど、
理由のひとつとして考えられるのは、
NANAがドラえもんでもなければサザエさんでもないからです。

NANAは恋愛の話だ。
新幹線でたまたま隣に座った二人のナナが共同生活を続ける中で
入り乱れる恋愛模様をリアルに描き出す作品です。

そう、この話はリアルな等身大の二十歳前後の男女の話なのです。
読者は多分、個性的なそれぞれのキャラクターに
感情移入なり自己投影なりをして楽しむんでしょう。

だけど、ナギにはそれができない。

NANAは、岐路に立たされたキャラクターの苦悩の描写がすごく巧い。
読者はそれを見て、自分だったらこうしたのにとか、
自分のときはこうだったとか、それぞれ思い描くんでしょう。

ナギにはそれができない。

昔の恋を思い出して感傷的になってみたり
キャラに自分を投影させてみたり


これがドラえもんだったら話は別なんです。
「僕にも四次元ポケットがあったらこうするのにな」
という妄想は妄想でしかなくて、リアリティはないのです。

ところが、NANAには妙にリアリティがある
そこに出てくるキャラクターの感情が、まるで自分のもののように
ナギの中で渦巻いているのです。

なのに、気持ちはわかるのに
ナギにとって恋愛や恋人という概念は果てしなく
四次元ポケットに近い存在なんです。

だけど、四次元ポケットになりきれるわけでもなく
果てしなく遠くにありながらも、
手を伸ばせば一見届きそうに見えなくもない

恋愛を四次元ポケットにしてしまえば楽なんだ
諦めということもときには大事なものとなる
だけど、まだ諦めきれてない自分は甘いのか
諦めてしまえれば楽になれる

それでも、まだナギは諦めない